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min628

Author:min628
いつまでたっても上達しませんが、文鳥や野鳥の写真を撮るのが好きです。ときどき本について書くことがあると、長くて読むのがたいへんです。すみません。(鳥鳥文鳥とは、鳥話の間に時々長文が入るという意味だったらしい)
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レイチェル・カーソン

Sun.27.05.2012 0 comments
女性生物学者レイチェル・カーソンが、『沈黙の春』によって地球環境への脅威にたいして行った提言は、もう50年も前のことになります。無制限に行われる殺虫剤散布の脅威、核開発に対する脅威、そして、産業のために行われる自然破壊への脅威です。レイチェルが命をかけて訴えたことが、50年後の今も、依然として脅威のままなのはとても残念です。
核の被害はチェルノブイリ、スリーマイルに続いて今、日本に起こりました。残留農薬には制限値がもうけられましたが、開発と自然破壊は、進むいっぽうで、とどまることを知りません。遺伝子組み換え作物や、クローン生命など、あらたな脅威も生まれつつあります。彼女が長く生きていたら、どのようなリアクションをおこしたでしょうか・・・。

レイチェル・カーソンは、1907年、アメリカ ペンシルベニア州スプリングデールに生まれました。母親の影響で自然観察にめざめ、野鳥を観察するのが大好きでした。(この楽しみは、一生続きました)また本を読むのが好きで、文学的な才能も啓発され、8歳の時に投稿した小説が賞をもらったほど。作家を夢見て、ペンシルベニア女子大学に、奨学金を得て入学。成績はつねにトップクラスでしたが、それはレイチェルが寸暇も惜しんで勉強していたからでした。貧しいカーソン家から、大学に行かせてもらい、学ばせてもらっているという現実を、身にしみて感じていたのです。

文学の成績はたいへん優秀でしたが、女性学者のメアリー・スキンカーによる生物学の野外授業と、その生き方ににすっかり魅せられ、生物学者への転換を決意します。このことが、レイチェルの長いたたかいの始まりでした。女性が学者として生活するには社会が成熟していませんでしたから、活動は著しく制限されていました。恩師のスキンカーは、その後、研究の機会に恵まれず、やはり若くして亡くなっています。

ジョンズ・ホプキンス大学大学院で動物発生学で修士号取得。レイチェルは、アメリカではじめて公務員試験を受けた女性としてだけではなく、成績もトップで公務員としてアメリカ連邦漁業局・魚類野性生物局に採用されました。ここで、ライフワークの海洋生物学に深くかかわることになるのです。

レイチェルは、家族と強い絆をもっていましたが、また家族がもたらす困難に、つねに悩まされてきました。
父親は事業に失敗し、早くに亡くなりました。母親は教師でしたが、当時、女性は結婚したら職場を去らなければならないという社会でしたから、家庭に入っていました。窮乏する家計の中で、姉が離婚して子どもを連れて戻っており、兄には定職がありませんでした。

その姉が糖尿病で若くして亡くなると、レイチェルは姪二人の養育もしなければなりませんでした。さらに、姪のひとりが子どもを産むと、やはり糖尿病で亡くなり、大叔母としてその子の養育もしました。その子、ロジャーは育てるのが難しい子でしたが、ロジャーとの日々が、名編「センス・オブ・ワンダー」を産むことにないました。レイチェルは晩年、自分の死後、彼をどのように養育してもらうか大変悩まなければなりませんでした。

母親はどんなときでもレイチェルの精神的な支えでしたが、老後の介護は大変でした。それらの家庭の事情のために、レイチェルは多くの仕事を犠牲にしなければなりませんでした。また、無理がたたって、健康を損なう事にもなりました。
そして、兄のロバートは、レイチェルの死後も、遺言を無視して勝手に葬儀を執り行ったり、遺産を自分のものにしようとしました。

本の出版についても不運がつきまといました。
初めての本『潮風の下で』は、絶賛をもって迎えられたにもかかわらず、売り上げがかんばしくありませんでした。本が売れれば作家として生活できると望んでいたレイチェルはひどく失望しました。アメリカは朝鮮戦争、第二次世界大戦という世の中で、人々はレイチェルの描き出す美しい文章に酔いしれる気分ではなかったのです。(その後、『われらをめぐる海』の出版で、やっと作家として生活することができた)
女性であることが社会的に不利であったり、理解を得られない無能な上司に悩まされたりしましたが、仕事を通じて友人、学者と知己をひろげ、豊かな人間関係をつくっていきました。それは、彼女が控えめながら、ユーモアとウイットを持ち合わせた魅力的な人柄だったからです。生涯独身だったレイチェルですが、心からの親友ドロシーはじめ、多くの学者や友人、編集者たちに励まされながら、病気をおして、さいごの大仕事に果敢に立ち向かっていったのです。

『沈黙の春』は、化学薬品会社など、多くの大企業から攻撃を受けることが予想され、レイチェルと出版マネージャのマリー・ローデルは、訴訟などの対策、マスコミからの攻撃などに備えて、周到に準備しなければなりませんでした。ある若い執筆協力者からは裏切りの仕打ちを受けました。そして、癌がレイチェルのからだに襲いかかり、執筆を何度も中断しなければなりませんでした。数々の困難を乗り越えて、ついに『沈黙の春』が世に出たときには、世界中にたいへんなセンセーションを巻き起こしましたが、レイチェルに与えられた命は、このときもう、燃え尽きようとしていました。

500ページにも及ぶ詳細な伝記『レイチェル!』には、知られざる苦悩や、家族のこと、企業や病気とのたたかいに、多くのぺージが費やされています。これらの事実が、レイチェルにとって執筆の障害となっていたことは明白です。
詩人の才能と、生物学者としてのすぐれた業績が、レイチェル・カーソンという女性になんの代償も、障害もなく与えられてほしかった。そうして、彼女の言うように90歳まで生きて、もっともっと世の中に働きかけて欲しかった。けっして恵まれたとは言えない、悲運のついて回る生涯を、56年で閉じるところまで読み終えたとき、いい知れない哀しさに襲われました。

沈黙の春」刊行から2012年5月26日で50周年を迎えます。その翌日、5月27日は、レイチェル・カーソンの誕生日でもあります。105年前の今日のことです。

おりしも、『センス・オブ・ワンダー』に描かれた世界を映画化した作品が、全国の団体によって自主上映されています。世界が、レイチェル・カーソンについて、もういちど注目すべき時が来ていると思います。
公式サイトへは、下記のポスターをクリックして下さい。

映画『レイチェル・カーソンの感性の森』公式サイト












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